今の私のベースに在るものは
陰陽五行思想なのですが、
若い頃から聖書との縁があり、
勉強会に参加してた時代があります。
最初に哲学書的なものを読んだ時聖書からの引用が多かった。から始まり
入社した会社の経営者がクリスチャン。
その次の会社も朝礼の時に聖書を読んで始業。
ついには
義妹の旦那さんが牧師さん…。
身内が教会を主宰しているわけですね。
ここまで縁があるわけですが
洗礼は受けてないんですがね。
聖書の勉強は面白かったです。
イエスキリストの行いや御言葉の意味とかを
純粋に教わっていたわけですが
今となってはそれらは例えの連続で
現実的な出来事に当てはまることばかりだった!と驚くことばかりだったりします。
プロテスタント教会は
イエスキリストの像は見当たらず豪華な祭壇もありません。
偶像崇拝を良しとしない。ことがその現れで
それも一因となって
カトリック教会とは対立した模様です。
と、
前置きが長いですね💦
たとえ、どんな素晴らしい教えでも
自分の中に依存心があると
非常に厄介なんですね。
なぜなら
その依存心に入り込むネガティブなエネルギーがあるからです。
この薬を飲んでるから大丈夫!
と思い込みすぎていたら
日常生活をおろそかにしてしまうかもしれないですよね。
根本に不摂生があるのとないのとでは違いますもんね。
こういうちょっとした隙の正体は
依存心なんです💦
偶像があると依存しやすくなるかもな。
ということで
プロテスタントは枝分かれしたみたいですね。
聖書内にも偶像ダメよと書かれている箇所があります。
カナリざっくりですが。
もし
仏神が助けてくれる!
ご先祖さまにお願いしよう!
この石があるから大丈夫!
親が、先生が、あの人が、、言っているのだから間違いない!
と、いう感じのノリを発見したときは
あれ?もしかして私の中に依存があるのかな?
と疑ってみることをお勧めします。
そして、
どう変換すべきか。なのですが、
その仏神(の教え)を信じている自分を信じる
ご先祖さまを大事にしている自分を信じる
石に込めた自分の願いを信じる
親、先生、あの人、、を信じている自分を信じる
という感じが最高ですね☆
結局のところ、
こう↑書いたまんまなんですよね。
外側の何かに依存してしまうと、
○○のおかげで。も発生するのと同時に
○○のせいで!の可能性もあるわけです。
自分が思ってもみない方向に動いてしまうかもしれない。
そらと、正反対のようなこと、
「自力でどうにもならないことがある
そんなときは時に身を任せよう」
というようなことを
私もこのブログの中で
たまに書くのですが
これすらも
時に身を任せることにした自分を信じる。のです。
自分を信じる。
自分の芯を意識する。
これが
依存心からの脱却となり、
支配されやすい思考を書き換えることにつながります。
最終的にはこれが
意識次元の上昇につながっていくんですね〜
あ、ちなみに
この記事も
ご自分に取り入れるに値するかどうかを
一度考えてみてくださいね!
キネシオロジーは自分の本心を聞き出す手法なので
自分に聴くことができますよ~
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