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執筆者の写真日向野泰子

視覚の死角

世の中、

ブームに乗っかるタイプのヒトがいる。

逆に

めっちゃシラケてるヒトも居る。


今回の改元でも両者、くっきり別れた!

(ブームってのともちょっと違うけど)



テレビでは何かと言えば

「令和初の〇〇!」「平成/令和グッズが品切れ状態」

それをしれっとした空気で見ているヒト。




私はどっちかというともともとブームには乗っかれない性質。

しれっとまではしていないけどテンションが上がる感じでもない。

サヨナラ平成!令和よろしく!みたいなノリを日常的な情報の一つとして捉えている感じ。かな。

西暦にどっぷり浸からない、日本の文化っていいね!ってのが私の率直な感想。




こういう大きな切り替え時期であっても日常の一部と捉える自分。

決してシラケているわけじゃないけど

かっこつけてるわけじゃないけど

なんでかなーって思う。

感情が動かない。


令和に乗っかっちゃえばいいのに!ね。







多分ね、過去ずっと…

自分の誕生日が来ようとも

新年が来ようとも

学校を卒業しようとも

結婚しようとも

子供ができようとも

会社を設立しようとも

日本がワールドカップに出場しようとも…


とにかくとんな切り替えのタイミングが来たとしても

ひとつも揺らがない、変わらないと(無意識に)思って生きてきたからなんだ。


切り替えのタイミングに便乗していた時期もあったかもしれない

でも変わらなかった。

なにかが変わるだろうと期待していた時期もあったと思う。

でも変わらなかった。

そんな経験が「私は変わらない」と自分で自分に刻印し、

それは年を追うごとにさらに深く刻まれていった。


きっと周りから見たら私に変化を感じてくれている人も多いと思う。

けど要は私が「変わってない!変わらない!」としていることが問題だから。


自分の内側で起こる

誕生日でも、

結婚でも、

出産でも、

社長になっても、、

何も変わらなかった自分が

令和になったところで何が変わるんだ?って。


でも… なんだか急に… 「私は変わらない」と決定していたのはまぎれもなく自分自身だったと、はたと気づいた。


「なにかが変わるだろう」というのは、自分の決定ではない。

単なる願望。

言い換えれば“他責”。

運命は私を見放したのか?レベルの理不尽さを抱えている風ででも深層では「私は変わる気ないけど、それでもよければ変えてみて~」という傲慢。

…等々がめくるめく見えてきて…


あれ??? となったよ。

何も変わらないのは自分が原因だったんかーい!って。


そこから考えは急展開。

じゃ、「私はいろんな切り替わりのタイミングで常により良く変化していく!」

と刻印しなおせばいいんじゃん?

そんな思いになった。



で、スグに思ったのが

「うわー!乗り遅れた!令和になっちゃったじゃん!」って。

もう、5/1はとっくに過ぎてる



…でもまたすぐに切り返した!

『乗っかれなかった私のために盛り上げてくれてた人が居る』


世の中の令和ムーブメントは私に目を覚ませ!と叫んでくれてたんだ!

そして「私はいろんな切り替わりのタイミングで常により良く変化していく!」


その“切り替わりとは、

毎日やってくる“朝”だっていいんだ!って。

当たり前にやってくる朝、それこそが素晴らしい!

毎日が素晴らしい!

10連休終わったからなおさら日常が素晴らしい!

(連休は一日中ごはんづくりのこと考えなくちゃならないから私は嫌なのです)



改元で何かが変わる?

なにかと

用心深く

疑念を手放せない私も

しっかり何かが変わった。

ってか、

こんなにも変わる気のない暗黒な自分がまだ居たのか!って驚きもした。

極端な言い方してしまえば

私は夢や希望みたいなのを特に持っていなかったのかも。って。

逆に言えば

今の私には、自分を変えるとかいう想念自体ないし

今が幸せだと満足できている状態。だからなんだけど

まだまだ

素直になっていいんだ!って思った。

そっか、今わかった。

「なにかと 用心深く 疑念を手放せない私も しっかり何かが変わった。」

の、“何か”とは

素直さ。だ。

用心深く疑念を持たずに

素直でいること☆

私が令和から頂戴したもの。

素直さ☆

すっごくうれしい。

気持ちがいい。

上皇陛下と新天皇陛下に手紙書きたい!

あまりにも素直になろうとしない私に

世間のみんながこぞって公共の電波まで使って

メッセージをくれてた!

本気でそう思う。

自分の視覚で死角になっている自分は

他人という鏡にしか映らない。

それは

自分が変わる、ということではなく

見えてなかったところが立ち上がる、自覚するという感覚。

より精巧な鏡は

自分と大きくかけ離れたヒトであり

違和感を感じるヒト。

感情を揺さぶられてもいい。

違和感バリバリなのに心が固まってしまうのでもいい。

それが

自分の死角を解除するためのサインだから。

こうやって地球はバランスを取っている。

飛躍しすぎかな?

ま、いいや

どっちにしてもありがたいな…って。

…そんな感じの連休明けです。

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